ニートに関する書籍を集め読んでいるうちに「ニート」という言語には

何かしらの陰謀が隠されているのではないか?

といった疑問が浮かんできました

スティーブン・セキルバーグ並の妄想と考えてもらっても結構です

しかし現在実現している科学でさえも先人達が

試行錯誤してたどり着いた結果です

そこに至る過程において一般人からみたらオカルトめいた

怪しげな雰囲気を醸し出していた事でしょう

天才的な詐欺師は9個の真実に嘘を1つだけ混ぜるともいいます

ネットや思考という手段を用いて真実の欠片を集めると「ニート」という言語に

国家の陰謀が見え隠れします

ニートが増えて困るのは誰か?


ニートとは学校にも行かず定職にもつかない15歳~34歳の人々を指します

人間が生きていくためには食料、住宅、衣料など最低限の

生活費が必要になります

健康体であるにもかかわらず学校にもいかず

仕事をしないことにより、その子供の親はとても大きな不安を抱える事になります

本来なら子供の育成というノルマを卒業して後は自分の老後の心配を

すればよいはずなのにいつまで経っても子育てノルマから開放されない

無限地獄に陥った状態になってしまいます

こう考えると子供がニート化することにより一番の被害者は

ニートを扶養し続けなければならない親と考えられます

しかし実は子供がニート化しても本来は親それほど困ることは無いのです

子供が20歳を過ぎてしまえば子供を扶養する生活保持義務から

親族が生活を助ける生活扶助義務になるからです

扶養義務の範囲とは

つまり20歳を過ぎたニートは親はニートの面倒を見ること無く

「勝手に生きていってください」

そう考えても何も問題はないのです

たまたま持ち家などに寄生していることにより

惰性でニートの扶養が継続されている事実が存在しているだけで

競売物件に居座り続ける住人となんら変わりはありません

ほんとうにニートが増えて困る存在は別にいるのです

ニートが増えて本当に困る存在


ニートが増えて困るのは誰だと思いますか?

日本人であれば日本国家が一番に困る存在になります

働かない人が増えればそれだけ税収が少なくなります

~江戸初期までは藩主の年貢の取り立てが厳しいと

逃散(ちょうさん)といって生まれ育った土地を捨てて

他の村に逃げ込む事も多かったようです

こうなると藩主は自分の土地から上がってくる石高が減ることになります

そのため江戸中期になると「逃散一揆」はお家取り潰しの案件になるので

厳しく取り締まらることになります

時代が変わっても自分の囲っている労働力は減らしたくないというのが

権力者の本音なのです

また扶養されている親がなくなれば家に引きこもっていた

ニートが世に放たれて野良ニートが街を蠢くことになります

その結果、街の治安はわるくなり社会不安が増大していくことでしょう

「無敵の人」という言葉をご存知でしょうか?

http://hiro.asks.jp/46756.html 参照 ひろゆきの公式ブログより

無敵の人とは今現在において何の地位も学歴もお金も人間関係さえも

持たない人をさします

簡単に言ってしまえば、「失うものが何も無い人間」のことです

人が犯罪を躊躇する理由の一つにその犯罪を犯すことにより

人間関係や地位やお金などを失う事を恐れる事があります

せっかく苦労して今の地位についたのに

万引きや痴漢で捕まっては馬鹿らしい

人間は理性を持っている以上そう考えるのが普通です

しかし世に放たれた野良ニートは自分に何の勲章も資産も持ちえない

さらに将来における希望すらも持ちえない

中身が空っぽのパンドラの箱なのです

そんなニートが世に放たれたらどうなりますか?

治安が非常にわるくなり都市はスラム化することでしょう

ニートが増えて最後に困る存在は国家なのです

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ニートを増やさない悪巧み


珍走団という言葉を知っていますか?

珍走団とは

「暴走族なんて呼び方はかっこよすぎる。ダサい名前つけて呼ぼうぜ!」

という発想からこの呼び方が生まれました

http://magazinesummit.jp/lifetrend/1416608170208 参照 マガジンサミットより

言霊信仰という言葉があるように

言葉という概念を発することにより

人々の意識の変化を促す作用があります

ベンジャミン・ウォーフが唱えた理論に言語相対論がありますが

「言語が思考を決定付ける」言語は認識に影響を与える思考の習性を提供する

という理論があります

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E7%9A%84%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E8%AB%96 参照 Wikipediaより

認識できる言語はその言葉を投げかけられた人に影響を及ぶすという考え方です

全然知らない外国語で「死ね」といわれても

なにか怒っているなくらいの感情しか湧きませんが

普段使っている日本語で「死ね」といわれると

強い不快感が感じてしまいます

言語はそれを発する人よりもそれを受け止める人の思考に深く影響を及ぼします

ある特定の人間や団体の意識や行動を変えるために

珍走団という名称で呼ぶことにより

その人が恥ずかしい気持ちになり

その文化を廃れて消滅するすることを意図してしています

珍妙な名称で呼ぶことは理にかなっているのです

明治時代、高等教育を受けたた後

働かないで世捨て人のような生活をしていた若者を

「高等遊民」と読んでいました

文豪の太宰治や夏目漱石などの登場人物に頻繁に登場してきます

かれらもそんな高等遊民というカテゴリーに憧れにも似た

想いを抱いていたのかもしれません

https://matome.naver.jp/odai/2142396122436393201 参照 NAVER まとめ 

ならば、現代に生きるニートも高等遊民ではないのでしょうか?

ニートという名称を定置させたのは

テレビや新聞を筆頭とした大手メディアです

高等遊民ではなくニートという名称を使用し続けなければならない理由は

高等遊民では格好が良すぎるからです

国家から見て働かない穀潰しは

人々からバカにされる名称でなければならないからです

高等遊民という名称では年端もいかない子供が憧れてしまう可能性すらあります

そこで国家の提灯記事を得意としている大手メディアは

働かない若者をニートというレッテルを張り

人々の監視の目に晒そうとしました

働いたら負け

ニートを代名詞するセリフです

坊主頭の冴えない若者の画像を良くみますが

もしこれが

働いたら負け

こんなカッコいい男が宣言していてはそうかもしれないという意識が働いてしまいます

メディアはニート=ダサい存在

と人々を洗脳しています

その背後には国家の歯車として生きろというメッセージが隠されているのです

国家の歯車として生きろ


明治時代以前は出目により将来つけるであろう仕事が決まっていました

農民の子供は農民に武士の子供は武士に

それが当たり前でありなんの疑いももっていませんでした

しかし明治時代に入り産業革命がおきる事により

資本をもとにした仕事の仕組みがどんどん勢力を増してきました

それ以前は、会社という概念はほとんどなく

農家にしろ商家にしろ自分の生活費を稼ぐ手段は

自分の器量できまる自営業が多くを占めていました

その中で才覚のある人間が資本という元手を担保に

他の人間を安く使いそれにより発生する付加価値とも

いえる利益をかすめ取る方法を編み出しました

資本主義の誕生です

人間を歯車に見立てて仕事の工程を単純化して

分業化することにより生産性を高める工夫がなされたのです

国力がほしい国家や資本家からみたら

読み書きもできずに自分の好きな時間に働いて

自分の好きな時間に休む人間よりも

朝9時~17時まで規則正しく学校に通い

くだらない勉強を耐えて続ける人間を育成し

将来に向けた労働力を確保するために学校という制度をつくり

人々をそこに通わせ国家の歯車を生産する必要があったのです

明治時代以前は自分の農地があれば別に学校に通わずとも

親の手伝いをして将来は親の後を継ぎ農家として生きて行けばよいだけです

今の時代のように誰でも当たり前のように学校に通う人間はいなかったのです

ほとんどの人間は読み書きすらわからない

ニート(親の手伝い)だったのです

その証拠に明治政府は国民を産業の部品にするために

学校に通う事が有益であると布教しました

いわゆる学校信仰を作り出したのです

明治初期までは子供は農家の重要な労働力だったので

子供を学校に通わせることは稀でした

それ以上に子供を学校に通わせる事に反対し学校を破壊する

騒動が全国で蜂起していました

明治初期 学制反対諸騒動一覧

小学校入費銭反対 京都(明治6年) 島根(明治7年)

学校賦課金反対 茨城(明治9年)

学校新築増額反対 山梨(明治9年)

小学校廃止 鳥取(明治6年)

学校引き渡し 宮崎(明治6年)

教育内容に反対 敦賀(明治6年)

学校破壊 埼玉、北条、鳥取、名東、福岡(明治6年) 三重、岐阜(明治9年)

「自殺するなら引きこもれ」 本田透 堀田純司 著作 31ページより参照

学校に通うことにより出目を問わず立身出世ができるという布教のために

学校には二宮金次郎像が建てられました

産業が活性化して資本主義を邁進するためには

国民全体の学力を上げる必要があったのです

文字も読めない、簡単な計算もできない人間では

高度に進んだ文明では単純労働さえも怖くて従事させられません

また学校の就学時間は規則正しく学校に通うという概念を持たせる

必要もあったのです

9時~17時はなんの疑いも持たずに学校に通っていますが

これも将来、会社勤めをする際になんの疑いも待たずに

仕事に従事させることが必要だからです

そのためには国家は当初は学校の授業料が有料だったのを無料にしたりして

子供を学校に通わせる事に力をいてきました

日本政府は就学率を100% 通学率を90%まで越えたのは大正時代に入ってからです

子供は全員学校に通うという常識が定着してまだ100年もたっていません

通学率と就学率の動向

明治6年   就学率 28.13%  通学率 15.99%

明治13年  就学率 41.06%  通学率 28.26%

明治16年  就学率 47.41%  通学率 33.42%

明治20年  就学率 45.00%  通学率 27.04%

明治30年  就学率 66.65%  通学率 43.99%

明治35年  就学率 91.57%  通学率 68.40%

明治41年  就学率 97.80%  通学率 76.83%

大正3年   就学率 98.26%  通学率 90.15%

「自殺するなら引きこもれ」 本田透 堀田純司 著作 32ページより参照

農民が学校を襲撃したり、不登校率70%の子供がいたのは

100年前には当たり前の常識たったのです

今ある常識は100年後も常識として普遍のものでしょうか?

おそらく違うはずです時の権力者など影響力がある地位に

いる人間の意志により様々な変革を与え続けているのです

まとめ

資本主義では労働という行為そのものを崇拝する社会です

資本主義社会ではニートなど「働かずに生きていく」ことが罪悪である

という考え方を植え付けられています

ニートなどの言葉は「働かない人間を社会的・道着的に責める言葉です」

国民全員が出家してしまったら社会は成り立たたなくなります

そうなると困るのは誰でしょうか?

かって1980年までは共働き家庭の子供は可愛そうという

価値観がありました

鍵っ子と呼ばれ暗いイメージを持ちテレビドラマでも

悲惨な立ち位置に置かれていました

しかし少子化が進行した結果労働力が足りなくなり

1985年 男女雇用均等法を制定させ

女性も労働力として従事させようと時の権力者は考えました

女性が活躍する時代そんなスローガンのもと

そのためには「専業主婦は害悪」「夫に寄生する生き物」

そんなレッテルをメディアやインターネットを通して布教してきました

国民が相対的に貧困化していく過程も手伝って

知らず知らずのうちに専業主婦は害悪という観念が国民に浸透させたのです

言葉の持つ魔力を通して誰かの意図が確実に人々の意識に変化をもたらしているのです

ニートという言語もその一つかもしれません

「・・・おや、誰か来たようだ」

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